投稿日:2025.11.30/更新日:2025.11.30
京都大学医学部附属病院から
「標準治療を始める前に、がん遺伝子パネル検査を行い、その結果に基づいて治療を選んだ患者さんでは、生存期間が延びた」
という報告が出ました。日本経済新聞でも「亡くなるリスクが4割低下」として取り上げられていました。
一方で、当院のコラムでもご紹介しているように、膵臓がんのNPO法人 PanCAN(パンキャン)が行った大規模研究では、
遺伝子変異にマッチした治療(プレシジョンメディシン)を受けた患者さんの生存期間が、標準治療だけの患者さんに比べて大きく延びたことが示されています。
がん種や国は違っても、両者が指し示している方向性は同じです。
「できるだけ早い段階でゲノム情報を把握し、その患者さんのがんの“顔つき”に合わせて治療を選ぶと、生存期間が変わり得る」
このページでは、京都大学のデータと、PanCANの膵がんデータ、そして当院の考え方をまとめてお伝えします。
がん遺伝子パネル検査は、がん細胞のDNAを一度に多数解析し、
どの遺伝子にどんな変異があるのか
その変異に合った分子標的薬や免疫療法があるか
該当する臨床試験があるか
といった情報を整理する検査です。
よく「その人のがんの設計図を見る検査」と表現されます。
設計図そのものが薬ではありませんが、「どの薬を、いつ、どう組み合わせるか」という治療戦略を考えるうえでの地図になります。
日本では2019年から保険適用になりましたが、
標準治療がない
もしくは標準治療をやり尽くしたあと
という条件がついており、「最初から自由に使える検査」ではない、というところが現状の大きな制約です。
京都大学を中心に全国6施設で行われた FIRST-Dx という研究では、消化器がん・肺がん・乳がん・婦人科がん・悪性黒色腫などの進行・再発がん患者さんを対象に、標準治療を始める前にがん遺伝子パネル検査(FoundationOne® CDx)を行いました。
そのうえで、専門家によるエキスパートパネルが
「この遺伝子変異には、この薬や臨床試験が妥当だろう」
という“推奨治療”を検討し、実際にその治療を受けられたかどうか、生存期間に差が出たかどうかを調べています。
大きなポイントは次の二つです。
推奨治療にたどり着けた患者さんの割合が増えた
標準治療をやり尽くしてから検査をする従来のパターンでは、
推奨治療を実際に受けられる患者さんはおよそ 1割未満と言われてきました。
今回、標準治療前に検査を行った FIRST-Dx では、
実際に推奨治療を受けられた患者さんが約4人に1人に増えています。
治療のスタート地点でゲノム情報を押さえておくほど、実際の治療に結びつく確率が上がったということです。
生存期間(全生存期間:OS)に差が出た
推奨治療を受けたグループと、それ以外の治療を受けたグループを比べると、
推奨治療を受けたグループでは「亡くなるリスク」が約4割低いという結果でした。
とくに、二次治療以降で推奨治療を受けられた患者さんでは、その差がさらに大きくなっています。
ランダム化比較試験ではないため、背景因子の違いは残るものの、
「標準治療を始める前にゲノム情報を押さえ、その後の治療ラインでうまく活用できた患者さんは、実際に長く生きている傾向がある」
ということを、きちんとデータとして示した研究と言えます。
膵臓がんは、いまなお治療成績が厳しいがんの一つです。
だからこそ、少しでも生存期間を伸ばす手がかりがないか、多くの団体や医療機関が試行錯誤を続けています。
米国の膵がん患者団体 NPO法人 PanCAN が行った「Know Your Tumor(KYT)」プロジェクトでは、1,000例以上の膵臓がん患者さんの腫瘍サンプルを解析し、それぞれの遺伝子変異に合った治療が行われたかどうかを追跡しました。
その結果は、当院のコラムでもご紹介している通りです。
遺伝子変異にマッチした治療(プレシジョンメディシン)を受けた患者群:OS 2.58年
マッチした治療を受けなかった患者群:OS 1.51年
標準治療のみを受けた患者群:OS 1.32年
プレシジョンメディシン群と標準治療群を比較すると、
P=0.0000023, ハザード比 0.34(0.22–0.53)
と報告されています。
これは、死亡リスクがおよそ 3分の1 になることを意味します。
この結果を受けて、米国の NCCN ガイドラインは早速改訂され、
すべての膵臓がん患者さんに生殖細胞系遺伝子検査(Germline test)を推奨
とくに転移性膵臓がんでは、診断時に FoundationOne CDx や MSK-IMPACT といったがん遺伝子パネル検査を行うことを推奨
という流れになっています。
一方で、日本では依然として
「標準治療をやり尽くしたあと」が保険適用の条件
その時点では全身状態が悪化し、せっかく見つけた標的薬や臨床試験に間に合わないケースが多い
という、タイミングの“ずれ”が大きな問題になっています。
当院のコラムでは、このギャップを「日本のプレシジョンメディシンの狭き門」として取り上げています。
京都大学の FIRST-Dx(複数のがん種)と、PanCAN の KYT(膵臓がん)は、対象も国も違いますが、メッセージは驚くほど似ています。
できるだけ早いタイミングでゲノム情報を整理しておくこと
見つかった遺伝子異常に本当に“マッチした”治療を、実際に受ける患者さんを増やすこと
この二つが揃ったときに、全生存期間(OS)の差として、初めて数字に現れてくるのだと思います。
ゲノム情報だけを先に調べても、実際の治療につながらなければ意味がありません。
逆に、治療の選択肢がほとんど残っていない段階で検査をしても、活かせる場面が限られてしまいます。
「いつ、どのタイミングでゲノムの地図を手に入れるのか」
「手に入れた地図を、実際の治療にどう結びつけるのか」
ここにプレシジョンメディシンの本質があると、私たちは考えています。
当院(当グループ)では、これらの研究結果も踏まえたうえで、次のような点を重視しています。
標準治療(ガイドラインに基づく化学療法・放射線治療など)は、いまなおがん治療の「土台」です。
その土台を尊重しつつ、
どのタイミングでがん遺伝子パネル検査を行うか
リキッドバイオプシーや生殖細胞系検査をどう組み合わせるか
を、患者さん・ご家族と一緒に相談しながら決めていきます。
がん治療は、一次治療だけで完結しないことが多くなっています。
最初から、
一次治療で何を使うか
二次・三次治療ではどの薬・どの免疫療法・どの局所治療を候補にするか
を見据えた「長期戦略」を描き、そのうえでゲノム情報を活かしていくことを心がけています。
ゲノム情報と腫瘍微小環境(TME)の評価結果をもとに、
分子標的薬・コンパニオン診断薬
樹状細胞ワクチン療法などの個別化免疫療法
放射線治療、陽子線治療、凍結治療など
栄養療法や TME 改善薬を用いた支持療法
を組み合わせ、「その方にとって現実的で、生活の質(QOL)も守れる治療」を目指します。
遺伝子パネル検査を受けるべきかどうか迷っている
標準治療だけでよいのか、他に選択肢があるのか知りたい
膵臓がんでプレシジョンメディシンがどこまで期待できるのか相談したい
こうしたお悩みは、どのタイミングでご相談いただいても構いません。
FIRST-Dx や KYT のデータは、「こうすれば必ず良くなる」という魔法の答えではありませんが、
「自分のがんの設計図を知ったうえで、納得して治療を選んでいく」
ための、ひとつの道しるべにはなります。
私たちは、主治医の先生方との連携を大切にしながら、
がんゲノム医療・プレシジョンメディシン・免疫療法の知見を統合し、
一人ひとりの患者さんにとって次の一手を一緒に考えていきたいと思っています。
監修医師
矢﨑 雄一郎医師
免疫療法・研究開発
東海大学医学部を卒業後、消化器外科医として医療機関に従事したのち、東京大学医科学研究所で免疫療法(樹状細胞ワクチン療法)の開発に従事。現在はプレシジョンメディカルケア理事長として活躍中。専門分野は免疫療法及び消化器外科。著書『免疫力をあなどるな!』をはじめ、医学書の執筆も手がけ、医療知識の普及にも貢献。免疫療法の開発企業であるテラ株式会社の創業者。