2025.11.28
MAPキナーゼ(MAPK)ファミリーには ERK, JNK, p38 などがありますが、がん治療の文脈で最も重要なのは RAS–RAF–MEK–ERK 経路(ERK経路) です。この経路は、細胞表面で受け取った増殖シグナルを核内まで伝える「増殖スイッチ」のような役割を担っており、その制御が破綻すると、がん細胞が制御なく増殖しやすくなります。
主な役割(正常生理)
細胞増殖・分化の調節
細胞周期進行の制御
生存シグナル(抗アポトーシス)の維持
発生・組織恒常性の維持
主な流れ
受容体チロシンキナーゼ(RTK)
EGFR, HER2, FGFR, MET, ALK, ROS1, RET, NTRK などの受容体にリガンドが結合し、自己リン酸化されてシグナルがスタートします。
アダプタータンパク質 → RAS 活性化
GRB2–SOS 複合体が RAS(KRAS/NRAS/HRAS)を GDP結合型から GTP結合型へ切り替え、「ON」の状態にします。
RAF キナーゼ(ARAF/BRAF/CRAF)活性化
活性化 RAS(RAS-GTP)により RAF が活性化し、下流の MEK をリン酸化します。
MEK1/2 → ERK1/2
RAF によって MEK1/2 がリン酸化され、続いて MEK が ERK1/2 をリン酸化します。
核内移行した ERK による転写制御
活性化 ERK は核内に移行し、ELK1, c-MYC, AP-1 などの転写因子を制御してサイクリンD などの発現を増やし、細胞増殖・生存シグナルを立ち上げます。
通常、この経路は DUSP や SPRY など多数のネガティブフィードバック因子により細かく調節されており、過剰な活性化は抑えられています。
がんでは、このブレーキ機構が壊れて MAPK経路が恒常的にON になっていることが多く、多くの固形がんで代表的な「ドライバー経路」として標的になります。
代表的な異常
上流 RTK の過剰発現・増幅・活性化変異
EGFR(肺腺がんなど)
HER2(乳がん・胃がん)
FGFR, MET, ALK, ROS1, RET, NTRK などの融合遺伝子
RAS 変異
KRAS(G12C, G12D, G12V, Q61R など)
NRAS(悪性黒色腫など)
HRAS(頻度は低い)
RAF 異常
BRAF V600E/K 変異(悪性黒色腫、甲状腺がん、NSCLC、大腸がんの一部 など)
BRAF 融合
MEK/ERK の活性化変異
MAP2K1/2(MEK1/2)変異
ERK(MAPK1/3)変異
「MAPKのさらに上流」を遮断する薬剤群 です。
EGFR-TKI:ゲフィチニブ、エルロチニブ、アファチニブ、オシメルチニブ など(EGFR変異 NSCLC)
HER2-TKI/抗体:ラパチニブ、トラスツズマブ、ペルツズマブ、T-DXd など(HER2陽性 乳がん・胃がん)
ALK/ROS1/RET/NTRK/MET/FGFR 阻害薬:クリゾチニブ、アレクチニブ、エヌトレクチニブ、ラロトレクチニブ、カプマチニブ など
これらは「MAPK阻害薬」というより、RTK→RAS→RAF→MEK→ERK の入口を閉じることで MAPKシグナルを間接的に抑える薬剤と位置づけると理解しやすくなります。
長年 “undruggable” とされてきた RAS に対して、KRAS G12C 特異的な共有結合阻害薬 が実用化されました。
ソトラシブ(sotorasib):KRAS G12C変異 NSCLC の二次治療以降で承認
アダグラシブ(adagrasib):KRAS G12C変異 NSCLC などを対象に開発・承認が進行
特徴
KRAS G12C の「オフ状態(GDP結合型)」にあるシステイン残基へ共有結合し、再活性化を防ぐ。
単剤でも奏効がみられる一方で、特に大腸がんでは EGFR阻害薬との併用 により効果向上・耐性克服が検討されています。
今後は G12D/G12V、pan-KRAS 阻害薬なども開発中で、MAPK標的薬の中でもフロントラインに近づきつつあります。
BRAF V600変異 を標的とする “クラス1 BRAF阻害薬” が主流です。
代表薬:ベムラフェニブ(vemurafenib)、ダブラフェニブ(dabrafenib)、エンコラフェニブ(encorafenib)
主な適応・ポイント
BRAF V600変異陽性 悪性黒色腫(単剤または MEK阻害薬併用)
BRAF V600E変異陽性 NSCLC、甲状腺未分化がん など
ダブラフェニブ+トラメチニブは、BRAF V600E変異を有する固形腫瘍(大腸がんを除く)に対する tissue-agnostic 承認も得られています。
BRAF V600変異腫瘍では「単量体BRAF」に依存して MAPK が駆動しており BRAF阻害薬がよく効きますが、一方で RAS 活性な野生型腫瘍では RAFダイマー活性化による ERKシグナルのパラドキシカル亢進 が起こりうる点が特徴的です。
RAF の 1つ下流に位置する MEK を標的とする薬剤です。
代表薬:トラメチニブ(trametinib)、コビメチニブ(cobimetinib)、ビニメチニブ(binimetinib)
(その他:セルメチニブ など)
主な使われ方
BRAF阻害薬との併用が標準
ダブラフェニブ+トラメチニブ
ベムラフェニブ+コビメチニブ
エンコラフェニブ+ビニメチニブ
悪性黒色腫、NSCLC、甲状腺未分化がん、BRAF V600E変異をもつ各種固形腫瘍などで用いられ、BRAF単剤と比べて PFS/OS の延長や、皮膚毒性(パラドキシカル活性化)の抑制が示されています。
主な有害事象
皮疹、下痢、悪心
心機能低下(LVEF低下)
網膜障害(網膜静脈閉塞・漿液性網膜症)
間質性肺疾患様の肺障害 など
さらに下流の ERK1/2 を直接阻害 する薬剤も開発されています。
BRAF/MEK 既治療例や耐性例に対する「次の一手」として期待されています。
代表例:ウリキセルチニブ(ulixertinib, BVD-523)
高選択的 ERK1/2 阻害薬
MAPK駆動腫瘍で早期試験における奏効例が報告される一方、疾患によっては有効性が限定的というデータもあり(例:ぶどう膜黒色腫では明確な有効性を示せず)。
このほか複数の ERK阻害薬が第I/II相試験で検証されており、
BRAF/MEK併用後の耐性克服
KRAS変異腫瘍への「下流からのブロック」
を狙った開発戦略がとられています。
縦方向ブロック(vertical blockade)
BRAF+MEK併用のように、同じ経路を2段階で抑えることで
シグナルの深い抑制
耐性出現の遅延
パラドキシカル活性化の抑制
を狙う考え方です。
横方向・並列経路のブロック
KRAS G12C阻害薬+EGFR阻害薬(特に大腸がん)など、リフィードバックによる再活性化を別の経路から断つ戦略が検討されています。将来的には KRAS阻害+SHP2阻害、KRAS阻害+MEK/ERK阻害 なども想定されています。
免疫療法との併用
MAPK阻害により腫瘍抗原や MHC 発現が増し、免疫抑制的なサイトカイン・TME がある程度改善する可能性が報告されており、PD-1/PD-L1阻害薬+BRAF/MEK などの併用レジメンが試験されています。
耐性機構への対応
BRAF/MEK阻害後の NRAS・MEK・ERK などの二次変異や、PI3K–AKT, YAP, JAK–STAT など他経路へのスイッチが問題となり、ERK阻害薬や KRAS阻害薬を含めた「次の一手」をどう組み立てるかが今後の重要なテーマです。