投稿日:2026.6.13/更新日:2026.6.13
がんが腹膜に広がる腹膜播種や、おなかに水がたまるがん性腹水に対して、免疫細胞(活性化リンパ球)を点滴ではなくおなかの中(腹腔内)に直接届けるという考え方があります。本記事では、この「局所免疫療法」の薬理学的な根拠と研究エビデンス、そしてその限界を、査読論文をもとに整理します。
免疫細胞をおなかの中に直接届ける局所免疫療法は、病巣のすぐ近くで高い濃度の免疫を働かせられるという薬理学的な合理性があり、古くから研究されてきました。腹水のコントロールについては、無作為化試験で有効性が示された治療(後述のカツマキソマブ)もあります。一方で、活性化リンパ球療法そのものの腹腔内投与は、多くが少数例・初期相の研究にとどまり、現代の標準治療と比較した大規模なエビデンスはまだありません。可能性のあるアプローチとして、適応は一人ひとり慎重に判断すべき段階にあります。
腹膜播種やがん性腹水は、おなかの内側を覆う腹膜という「膜」の表面にがんが広がった状態です。点滴(全身投与)の薬は、血流から腹膜の表面の病巣へは届きにくいという弱点があります。そこで、抗がん剤や免疫を腹腔内へ直接入れる「腹腔内投与」という発想が生まれました。免疫細胞療法でも同じ考え方が応用されてきました。

難治性の卵巣がんを対象とした第I相試験では、インターロイキン2(IL-2)を腹腔内に投与すると、腹腔内のIL-2濃度が血清の100倍以上(高用量では500倍以上)に達し、24時間以上持続したことが報告されています。さらに、IL-2とLAK細胞(リンフォカイン活性化キラー細胞:活性化リンパ球の一種)を腹腔内に投与した別の第I相試験でも、腹腔内で持続的なLAK活性が確認されました(一方で、腹水貯留にともなう腹痛が用量制限毒性でした)。局所に免疫を「濃く・とどめて」働かせられることを示す結果です。
エビデンスレベル:第I相・少数例 Chapman PB, et al. Investigational New Drugs. 1988(PMID: 3263958)/ Stewart JA, et al. Cancer Research. 1990;50(19):6302–6310(PMID: 2205379)
カツマキソマブは、がん細胞(EpCAM)とT細胞(CD3)、そして免疫細胞(Fcγ受容体)の三つに同時に結合する「三機能抗体」です。これを腹腔内に投与すると、T細胞をがん細胞へ橋渡しして攻撃させます。悪性腹水を対象とした無作為化比較試験(n=258)で、穿刺(腹水を抜く処置)を必要としない期間(穿刺フリー生存)が中央値46日と、対照群の11日に対して有意に延長しました(ハザード比0.254、p<0.0001)。「腹腔内に免疫を集めてがんを攻撃させる」という局所免疫療法の原理を、臨床で実証した代表例です。
カツマキソマブは2009年に欧州で悪性腹水の治療薬として承認されました。その後、2014年以降は販売されず、2017年に商業上の理由(有効性・安全性の問題ではありません)でいったん市場から撤退しましたが、権利を引き継いだ企業による再開発を経て、2025年2月に欧州で再承認されています(販売名 KORJUNY®)。
エビデンスレベル:無作為化比較試験(主要評価項目は腹水コントロール) Heiss MM, et al. International Journal of Cancer. 2010;127(9):2209–2221. DOI: 10.1002/ijc.25423(PMID: 20473913) ※全生存期間の延長は全体としては限定的で、事前に計画された解析で胃がんのサブグループのみ有意でした。
近年は、がんを狙い撃つよう改変したT細胞を腹腔内に投与する腹腔内CAR-T療法(進行胃がんの腹膜転移を対象に、EpCAMを標的としたCAR-Tを腹腔内投与する臨床試験など)や、免疫チェックポイント阻害薬を腹腔内化学療法と組み合わせる試み(多くは全身投与のニボルマブと腹腔内化学療法の併用)といった研究が進んでいます。いずれも前臨床〜初期相が中心で、有効性・安全性はこれからの検証段階です。
エビデンスレベル:前臨床〜第I/II相 腹腔内EpCAM標的CAR-T(臨床試験登録 NCT03563326)/PIPAC+ニボルマブ第I相(PIANO試験)・腹腔内パクリタキセル+FOLFOX±ニボルマブ第II相(IPLUS試験)/総説:Cancers (Basel). 2023;15(20):5107. DOI: 10.3390/cancers15205107
当グループの複合がん免疫療法 SynerTri®(学術名:iCCI) は、3本の柱を組み合わせる設計です。
〈アクセル〉として樹状細胞ワクチン療法・活性化リンパ球療法などの免疫細胞療法、〈ブレーキ解除〉として免疫チェックポイント阻害薬、〈スイッチ〉として局所療法(腹腔内投与・放射線など)を用います。
活性化リンパ球療法を腹腔内へ届ける発想は、このうち〈アクセル〉の免疫細胞療法と〈スイッチ〉の局所療法を重ねる考え方にあたり、当グループの枠組みと地続きです。ただし腹腔内投与は標準治療として確立された方法ではなく、適応となるかどうかは、がん種・腹水や播種の状態・全身状態・これまでの治療歴をふまえて個別に判断します。
進行がんの免疫療法は、免疫を強くする「免疫側」だけでなく、がんが免疫を排除しようとする「がん側=腫瘍微小環境(TME)」の両輪で初めて完結すると考えています。免疫細胞が病巣の近くまで入っていけるか——これは治療の成否を分ける要素です。腹腔内投与は、免疫細胞を病巣のある「おなかの中」に直接置くことで、この“届きやすさ”に働きかける一手として注目しています。私たちは、樹状細胞ワクチン療法だけでは届きにくい場面に向き合うなかで、がん側の局所環境にどう働きかけるかを考え続けてきました。
可能性のある考え方である一方で、以下の限界があります。「腹腔内投与なら効く」とは言えません。
・活性化リンパ球療法そのものの腹腔内投与の臨床データは、多くが1980〜90年代の少数例・初期相の研究にとどまり、現代の標準治療(免疫チェックポイント阻害薬を併用した化学療法など)と直接比較した大規模な無作為化試験はありません。
・IL-2を併用する方法では、腹痛・腹水の増加・発熱などの副作用が報告されています。
・無作為化試験で腹水コントロールを示したカツマキソマブも、全生存期間を延ばす効果は全体としては限定的でした(胃がんサブグループでのみ有意)。また対象はEpCAM陽性のがんであり、これは活性化リンパ球療法そのものの有効性を示すものではありません。
・腹腔内CAR-Tなどの新しい手法は、まだ前臨床〜初期相で、安全性・有効性が確立していません。
これらをふまえ、腹腔内投与を選択肢として検討する場合も、リスクとベネフィットを評価し、ご本人の同意のもとで慎重に設計する必要があります。
免疫細胞を腹腔内に投与する局所免疫療法は、研究として古くから検討されてきた考え方です。ただし標準治療として確立された方法ではなく、実施できるかどうか・適応となるかどうかは、がん種や腹水・播種の状態、全身状態によって個別に判断します。まずは現在の検査結果・治療歴をご持参のうえご相談ください。
腹水のコントロールについては、腹腔内に免疫を働かせる治療(カツマキソマブ)が無作為化試験で有効性を示した例があります。一方、活性化リンパ球療法の腹腔内投与そのものは少数例・初期相の研究が中心で、効果を保証できる段階にはありません。効果には個人差があります。
患者さまご自身の血液からリンパ球(免疫細胞)を取り出し、体外で活性化・増殖させてから戻す免疫細胞療法です。当グループでは、樹状細胞ワクチン療法などと並ぶ免疫細胞療法の一つとして位置づけています。詳しくは活性化リンパ球療法のページをご覧ください。
方法により異なりますが、IL-2などを併用する場合には、腹痛・腹水の増加・発熱などが報告されています。実際の治療では、リスクとベネフィットを評価したうえで設計します。
腹膜播種・がん性腹水と診断され、標準治療後の選択肢を整理したい方は、現在の遺伝子検査結果・治療歴をもとに、考えうる選択肢を一緒に確認します。
監修医師
矢﨑 雄一郎医師
免疫療法・研究開発
東海大学医学部を卒業後、消化器外科医として医療機関に従事したのち、東京大学医科学研究所で免疫療法(樹状細胞ワクチン療法)の開発に従事。現在はプレシジョンメディカルケア理事長として活躍中。専門分野は免疫療法及び消化器外科。著書『免疫力をあなどるな!』をはじめ、医学書の執筆も手がけ、医療知識の普及にも貢献。免疫療法の開発企業であるテラ株式会社の創業者。