2026.7.2
がんの遺伝子検査(がん遺伝子パネル検査)を受けると、「RAS」「KRAS」「NRAS」といった名前を目にすることがあります。名前が似ていて混乱しやすいので、まずはRASという“ファミリー”の全体像を整理し、そのうえで個々の遺伝子との関係を見ていきます。
RASは、細胞の表面にある受容体(EGFRなど)が受け取った「増えろ」という指令を、細胞の内側へ伝える中継役です。スイッチが必要なときだけオンになり、役目を終えるとオフに戻る――この切り替えによって、細胞は適切なタイミングでだけ増殖します。専門的には、RASタンパク質はGTPと結合するとオン、GDPに変わるとオフになる「小さなGTPアーゼ」と呼ばれる分子です。
ところがRAS遺伝子に活性化変異が起こると、このスイッチがオフに戻れなくなり、増殖の指令が出っぱなしになります。上流のEGFRなどが刺激されていなくても、RASから下流へシグナルが流れ続けるため、がん細胞が制御を失って増え続けます。RASから下流は「RAF/BRAF → MEK → ERK」というMAPK経路へとつながっており、この流れ全体が細胞の増殖・生存を担っています。
RASファミリーには、染色体上の異なる場所にコードされた3つの遺伝子があります。構造はよく似ていますが、がんでの変異のしやすさや、多く関わるがん種が異なります。
| 遺伝子 | RAS変異に占める割合 | 多く関わるがん種 |
|---|---|---|
| KRAS | 約85% | 膵臓がん・大腸がん・肺腺がん など |
| NRAS | 約12% | 悪性黒色腫(メラノーマ)・血液がん など |
| HRAS | 約3% | 頭頸部がん・膀胱がん など(比較的まれ) |
3つのうち、がん治療の現場で圧倒的に多く問題になるのがKRASです。そのため「RAS変異」と言うとき、実際にはKRAS変異を指していることが少なくありません。KRASそのものや、G12C・G12D・G12Vといった変異の“型”ごとの違い・治療薬については、別ページで詳しく解説しています。
RASの活性化変異の多くは、遺伝子のなかの特定の“ホットスポット”に集中しています。とくにコドン12・13・61と呼ばれる位置での変異が大部分を占めます。これらの位置が変わると、RASがGTPを分解してオフに戻る能力が失われ、スイッチが入りっぱなしになります。
大腸がんでは、抗EGFR抗体薬(セツキシマブ・パニツムマブ)を検討する前に、これらのコドンを含むRAS(KRAS/NRAS)の変異の有無を調べます。変異が見つかった場合、EGFRの入り口をふさいでも下流のRASが自律的に動き続けるため、抗EGFR抗体薬の効果は原則として期待しにくくなります。
RAS変異の頻度は、がんの種類によって大きく異なります。代表的なものを挙げると次のとおりです。
| がん種 | RAS(主にKRAS)変異の頻度の目安 |
|---|---|
| 膵臓がん | 約90% |
| 大腸がん | 約40〜45% |
| 肺腺がん(非小細胞肺がん) | 約30% |
RAS変異は長年「薬で標的にできない(アンドラッガブル)」とされてきました。スイッチそのものの形状が薬を結合させにくかったためです。しかし2021年以降、特定の変異型(まずKRAS G12C)を直接ねらうRAS阻害薬が登場し、状況が変わりつつあります。変異の型ごとに開発が進んでおり、承認薬・治験・研究段階の薬剤が混在している段階です。
当院(プレシジョンクリニック)では、RAS変異がんに特化した専門外来を設け、変異の「型」を起点に、承認薬・治験・研究段階の薬剤・免疫療法の観点から確認すべき選択肢を整理しています。また、変異したRASタンパク質そのものを免疫の標的(ネオアンチゲン)とする樹状細胞ワクチン療法など、免疫療法の観点からのアプローチも検討することがあります。いずれも効果をお約束するものではなく、研究段階の技術を含みます。
RASはKRAS・NRAS・HRASを含む遺伝子ファミリーの総称で、KRASはそのなかの一つです。がんで最も多く変異するのがKRASのため、「RAS変異」が実際にはKRAS変異を指していることも多くあります。
RASは細胞増殖のスイッチです。活性化変異が起こるとスイッチがオフに戻れなくなり、増殖の指令が出っぱなしになるため、細胞が制御を失って増え続けます。
大腸がんでは、RAS変異が陽性の場合、抗EGFR抗体薬の効果は原則として期待しにくいと考えられています。EGFRの入り口を止めても、下流のRASが自律的に動き続けるためです。
2021年以降、KRAS G12Cなど特定の変異型を直接ねらうRAS阻害薬が登場しています。使える薬は変異の型・がん種・治療歴によって異なり、承認薬・治験・研究段階のものが混在します。まず遺伝子検査で型を確認することが出発点です。