投稿日:2024.4.5/更新日:2026.11.6
WT1は、腫瘍関連抗原のなかで最も広く使われてきた標的です。白血病から固形がんまで多くのがん種に共通して現れ、ひとつの標的で幅広い患者さまを対象にできる。この性質が「ユニバーサル抗原」と呼ばれる理由です。米国立がん研究所(NCI)が2009年に75種類のがん抗原を並べたリストでも、WT1は最上位に置かれました。当グループはこのWT1を樹状細胞ワクチン療法の標的として2007年から用い、患者さまのHLA型に合わせてペプチドを設計しています。この記事では、WT1が標的として評価された中身を原著までたどり、17年分の臨床データを並べ、そして患者さまごとに1つずつ設計するネオアンチゲンとの役割の違いを整理します。
この記事でわかること
まず、WT1がどういう分子なのかを押さえます。標的としての強みは4つに整理できます。がん細胞が手放しにくいこと。治療後に残る細胞にも現れること。狙える断片が複数あること。そして、多くの患者さまのがんで量が増えていること。この4つは、あとで出てくる2009年の採点表でいずれも満点の評価を受けた項目にそのまま対応します。
WT1はもともと、小児の腎腫瘍であるウィルムス腫瘍の原因遺伝子として見つかった転写因子です。細胞の増殖と分化を制御する立場にあり、多くのがんでは高く発現してがんの性質そのものを支えています。
この性質が、治療設計で効いてきます。免疫の攻撃を受けると、がんは標的の目印を捨てて逃げることがある。ただし捨てると生きていけない分子なら、その手が使いにくくなります。2009年の論文の考察も、失われるとがん細胞が生き延びにくくなる抗原を狙うのが有益だろうと述べています[1]。標的の抗原が消える「抗原喪失」は、がんワクチンや細胞療法で現実に起きる逃避の経路です。そこに対して、WT1は構造的に有利な位置にあります。
抗がん剤や放射線で腫瘍が小さくなっても、わずかに残った細胞から再増殖することがあります。その源になる細胞まで標的に入るかどうか。WT1はここでも満点の評価を受けました。ただし著者たちは、がん幹細胞の同定法が変わりつつあるため将来の評価は大きく違いうると明記しています[1]。満点であること自体が、2009年時点の知識に基づく暫定的な評価です。
ここが、樹状細胞ワクチンの設計に最も直接つながる強みです。2009年の採点表で満点がつく条件は「長い抗原で複数のエピトープを持ち、多くのMHC分子に結合しうる」。逆に、単一の短い配列しか使えない抗原は0.13点に落ちます[1]。WT1は前者でした。
WT1では、型ごとに実際に使われてきた配列が複数あります。日本人でいちばん頻度の高いHLAクラスIアレルであるHLA-A*24:02には、235〜243番のアミノ酸配列を1か所だけ置換して結合力を高めた修飾型ペプチドが使われます[3]。HLA-A*02:01には126〜134番の配列が使われます。HLA-A*33:03やHLA-A*11:01に合う配列も報告されています。
そしてキラーT細胞用のクラスI拘束ペプチドだけでなく、ヘルパーT細胞用のクラスII拘束ペプチドもWT1から取れます。WT1タンパクが十分に長いから、両方が取れる。これが「エピトープの数:満点」の実質です。設計の自由度が高いということでもあります。
ひとつ、誤解を避けておきます。「複数のHLAに載りうる」ことは、「ある患者さまのすべてのHLAに載る」ことを意味しません。HLAクラスIはA・B・Cの3座を父母から1つずつ受け継ぐので型の組み合わせは人により異なり、同じ型を両親から受け継いでいれば種類はさらに減ります。どのペプチドが実際に提示されるかにも偏りがあります。あくまで自由度が高い、という話です。
総説では、WT1タンパクは多くの悪性腫瘍で過剰発現すると整理されています[10]。実際にWT1を標的としたワクチンの臨床試験が組まれてきたがん種を並べると、急性骨髄性白血病[9]、骨髄異形成症候群[2]、膠芽腫[8]、膵臓癌(膵臓がん)[5][6][12]、乳がん・肺がん[2]と、血液のがんと固形がんの両方にまたがっています。がん種をまたいで使えるこの性質が、WT1を標的に選ぶ実務上の理由です。
実際に組織を染めて調べた報告があります。日本のグループは、各種のがん組織494例を2種類の抗WT1抗体で免疫染色し、陽性率はポリクローナル抗体(C-19)で35〜100%、モノクローナル抗体(6F-H2)で5〜88%だったと報告しています[15]。胃・前立腺・胆道・尿路の腫瘍や悪性黒色腫でも陽性が確認されました。
同じ報告は、WT1の免疫染色そのものの性質も示しています。陽性例の多くは核ではなく細胞質がびまん性・顆粒状に染まり、卵巣腫瘍などでは核が染まる。抗体によって陽性率がこれだけ変わるという事実も含めて、WT1の染色は技術的に特殊です[15]。この点は、当グループが標的を決める手順にも関わってきます。
患者さまごとに変異を読んで1つずつ抗原を設計する方式と比べると、ここが決定的に違います。WT1は既に配列が分かっていて、使われてきた実績もある。だから治療の土台に置ける。この「土台」という位置づけが、当グループでのWT1の扱い方そのものです。
WT1の評価を裏づける材料として、よく引かれる資料があります。NCIが2009年に公表した、がん抗原の優先順位づけです[1]。ただしこれは「専門家がWT1を一番良い標的だと思った」という人気投票ではありません。何を測った物差しなのかが分かると、WT1の強みがどこにあるのかも、この順位で言えないことが何なのかも、はっきりします。
NCIは、翻訳研究の資源配分を決めるための仕組みづくりとして、この作業を行いました。手順は3段階です。まず19名の専門家が「理想的ながん抗原の条件」を出し合い、9つの採点項目に整理しました。次に同じ専門家たちが、抗原を1つも見ないまま、項目どうしの重みだけを決めました。9項目から2つを選ぶ組み合わせ36通りをすべて一対比較し、どちらがどれだけ大事かを投票する方式です。最後に16名が集まって、75の抗原を項目ごとに採点しました。
順序が肝心です。採点対象を見る前に配点を固定したので、「WT1を1位にするための配点」にはなりません。
対象の抗原は、過去5年のPubMedを「cancer vaccine target」で検索して言及の多い100種を抜き出し、各抗原に詳しい研究者80名(多くはその抗原の論文の責任著者)に採点資料を書かせたうえで、最終的に75種に絞られました。意見が割れた項目は討論し、投票で決めています。論文には「合意に至らないことも多かった」と書かれています。割れた項目は、票数まで表に残されています。
9項目の重みは、次のようになりました。
| 採点項目 | 重み | 満点がつく条件(理想的な抗原) |
|---|---|---|
| 治療機能 | 0.32 | 対照を置いたワクチン試験で有効性を示す「申し分のないデータ」がある |
| 免疫原性 | 0.17 | 臨床試験でT細胞または抗体の反応が誘導された |
| がん化への関与 | 0.15 | がん化の過程そのものに関わる自己タンパクである |
| 特異性 | 0.15 | 完全にがんだけに存在する(変異がん遺伝子・ウイルスタンパクなど) |
| 発現量と陽性細胞の割合 | 0.07 | 治療対象の患者のがん細胞すべてに高発現している |
| がん幹細胞での発現 | 0.05 | がん幹細胞と目される細胞に発現する証拠がある |
| 抗原陽性の患者数 | 0.04 | そのがん種の多くの患者で高発現している |
| エピトープの数 | 0.04 | 長い抗原で複数のエピトープを持ち、多くのMHC分子に結合しうる |
| 発現の細胞内局在 | 0.02 | 細胞表面に出て、血中を流れる分がほとんどない |
表:Cheever らの論文のTable 1・Figure 1から作成[1]。重みの合計は1.00になります。「治療機能」は「発現の細胞内局在」の16倍重く評価されました。
上位2項目、治療機能と免疫原性だけで重みの49%を占めます。つまりこのランキングは、半分が「臨床試験でどこまで進んでいるか」で決まる設計でした。この性質は、あとで順位の意味を読むときに効いてきます。
WT1の累積スコアは0.81、2位のMUC1が0.79。差は0.02です。上位10抗原は次のように並びました[1]。
| 順位 | 抗原 | 累積スコア | 治療機能の評価(重み0.32) |
|---|---|---|---|
| 1 | WT1 | 0.81 | Fair(4段階の最下位) |
| 2 | MUC1 | 0.79 | Fair |
| 3 | LMP2(EBV由来) | 0.78 | Fair |
| 4 | HPV E6/E7 | 0.77 | Very Strong〜Fair(票が割れた) |
| 5 | EGFRvIII | 0.76 | Fair〜Adequate |
| 6 | HER-2/neu | 0.75 | Adequate |
| 7 | イディオタイプ | 0.75 | Fair〜Adequate |
| 8 | MAGE-A3 | 0.71 | Fair〜Adequate |
| 9 | p53(非変異型) | 0.67 | Fair/該当なしで票が割れた |
| 10 | NY-ESO-1 | 0.66 | Fair |
表:同論文のTable 3から作成[1]。参考として、サバイビンは21位(0.55)、RAS変異型は15位(0.60)、メソテリンは42位(0.41)でした。当グループが用いる抗原のうちサバイビンとMUC1もこの75種に含まれています。
右端の列も見ておきます。上位10抗原のうち7つが「Fair」、つまり治療機能の4段階評価で最下位です。WT1もそのうちの1つでした。
治療機能の採点は、次の4段ではしごのように刻まれていました。
では、WT1の最上位はどこから来たのか。9項目の内訳を見ると、答えははっきりしています。
図:Cheever らの論文のTable 1・Table 3の数値をもとにプレシジョンクリニック作成[1]。棒の長さは重みを、濃い部分はWT1が得た下位基準の点数を表します。寄与の合計は小数第3位での丸めにより0.816となります。
満たなかったのは、いちばん長い棒(治療機能)と、2番目に長い棒のひとつ(特異性)です。残る7項目のうち5項目で、WT1は満点でした。9項目の寄与を足すと0.8159。論文が示す累積スコア0.81と一致します。
読み替えると、こうなります。WT1は「がんの生物学にとって中心に近く、多くの患者で高く出て、狙える断片が複数ある」という理由で最上位になりました。治療としての実績で最上位になったのではありません。この区別は、17年後のいまも有効です。そして冒頭に挙げたWT1の4つの強みは、ここで満点がついた項目そのものです。
この論文がすぐれているのは、結論の脇に但し書きを並べたところです。引用されるのは順位だけですが、原著には次のように書かれています[1]。
5番目の但し書きは、検証可能な形で論文内に示されています。著者たちは上位2項目、治療機能と免疫原性を外して再集計してみました。すると順位は入れ替わり、融合遺伝子の切断点(ALK、bcr-abl、ETV6-AML)と変異型RASが上位に上がってきました。残った項目のなかで、がん化への関与・特異性・がん幹細胞での発現が効いたためです[1]。
上位に来たのは、どれも「がん細胞に起きた変異そのもの」に由来する抗原です。ここから先が、ネオアンチゲンの話になります。
ここで、この順位表を「抗原の優劣表」として使えない理由を1つ加えます。採点項目の下位分類まで降りると、患者さまごとに固有の変異から作る抗原、つまりネオアンチゲンが、構造的に低い点数しか取れない設計になっていました。3つの項目で確認できます[1]。
| 採点項目 | 患者ごとに固有の変異由来抗原 | WT1(参考) |
|---|---|---|
| 特異性 (重み0.15) |
0.10 (患者ごとに固有のランダムな変異) |
0.54 (がん胎児性抗原) |
| 抗原陽性の患者数 (重み0.04) |
0.14 (全患者に存在すると推定される固有抗原) |
1.00 (多くの患者で高発現) |
| エピトープの数 (重み0.04) |
0.13 (短い抗原領域) |
1.00 (長い抗原) |
表:Cheever らの論文のTable 1・Table 3の下位分類と配点から作成[1]。3項目とも、満点1.00がつくのは別の下位分類です(特異性なら「完全にがんだけに存在する」)。
注目していただきたいのは1行目です。「完全にがんだけに存在する」という満点の条件に当てはまるのは、変異したがん遺伝子やウイルスのタンパクです。つまり多くの患者さまで共有される変異。一方、患者さまひとりにしかない変異は、同じ特異性の項目で0.10点でした。がんだけに存在するという点ではむしろ徹底しているのに、点数は5分の1以下です。
これは矛盾ではありません。この表は、研究費をどこに配分するかを決めるための道具でした。多くの患者さまで使い回せる「既製の標的」を並べる目的で作られているので、ひとりずつ作る抗原は設計上どうしても低く出ます。著者たち自身も、変異由来の抗原は小さく単一のエピトープを特定のMHCに提示させる必要があるため治療効果に到達するのはかえって難しいだろう、と述べています[1]。2009年時点の見通しです。
したがって、この順位表から「WT1のほうがネオアンチゲンより優れている」と読むことはできません。測っていないのです。
ネオアンチゲンは、がん細胞の遺伝子に起きた変異によって生まれた、正常な体には存在しないアミノ酸配列です。WT1とは出自がまったく違います。そしてこの違いが、免疫の側から見ると大きな意味を持ちます。
自己のタンパク質に強く反応するT細胞は、胸腺で育つ段階であらかじめ取り除かれます。中枢性寛容と呼ばれる仕組みです。WT1は自己タンパクなので、この制約を受けます。強く反応できるT細胞が、そもそも手元に残りにくい。
ネオアンチゲンは、この関門をくぐりません。体にとって未知の配列なので、高い親和性を持つT細胞が削られずに残っている可能性があります。狙いが当たったときに立ち上がる反応は、理論上こちらのほうが強い。ネオアンチゲンが有望とされる根拠は、ここにあります。
2009年の論文が変異由来抗原を低く見積もった理由は、主に実現可能性でした。患者さまひとりずつ変異を読み、どの配列がHLAに載るかを選び、それを製剤にする。当時は現実的でなかった工程です。この前提が、その後の17年で変わりました。次世代シークエンシングとエピトープ予測、そしてmRNAやペプチドの個別製造が、臨床試験として回る段階に入っています。
査読論文として確認できる成績を2つ挙げます。どちらも国内未承認の治験薬です。
1つは膵臓癌の第1相試験です。切除後の患者さまに、個別設計のmRNAネオアンチゲンワクチン(autogene cevumeran)を、アテゾリズマブと化学療法に併せて投与しました。ワクチンを受けた16名のうち8名でネオアンチゲン特異的T細胞が誘導され、その8名は誘導されなかった群より無再発生存が長かったと報告されています[13]。ただし16名の第1相で、対照群との無作為比較ではありません。
もう1つは悪性黒色腫(メラノーマ)の無作為化第2相b試験です。切除後の再発リスクが高い患者さま157名を2対1で割り付け、個別設計のmRNAワクチン(intismeran autogene、開発コード mRNA-4157/V940)とペムブロリズマブの併用107名と、ペムブロリズマブ単独50名を比べました。2025年12月時点の追跡期間中央値60.3か月での5年解析では、主要評価項目の無再発生存のハザード比が0.510(95%信頼区間0.294〜0.887)、遠隔転移のない生存のハザード比が0.411(同0.200〜0.843)と報告されています[14]。全生存のハザード比は0.471ですが、信頼区間は0.165〜1.345で1をまたいでいます。著者たちはこの5年解析を記述的なものと位置づけています。
第2相bの規模で無再発生存に差がついたことは、2009年の見通しが更新されたことを示しています。同時に、確認のための第3相の結果は本稿の執筆時点で公表されていません。ここは正確に置いておきます。
強みの裏側も書きます。第一に、患者さまごとに設計して作るため、腫瘍の組織を採り、配列を読み、製造するまでに時間と費用がかかります。進行が速い状況では、その時間が取れないことがあります。
第二に、変異の数そのものが患者さまによって大きく違います。変異が少ないがんでは、候補となる配列が十分に取れません。第三に、腫瘍のなかでも部位によって変異の構成が異なるため、狙った配列を持たない細胞が残ることがあります。第四に、予測した配列が実際にHLAに載って提示されるかは、現在の予測精度では完全には保証できません。
2つを並べると、強みと弱みがきれいに裏返しになっています。
| 観点 | WT1(ユニバーサル抗原・面) | ネオアンチゲン(個別抗原・点) |
|---|---|---|
| 出自 | 正常にもある自己タンパクが、がんで過剰に出る | がんに生じた変異で新しく生まれた配列 |
| 対象の広さ | がん種をまたいで多くの患者さまに共通 | その患者さまにしか当てはまらない |
| T細胞の質 | 中枢性寛容を受け、強い反応は立ちにくい | 寛容を受けず、高親和性T細胞が残りうる |
| 狙える断片 | 配列が長く、クラスIとクラスIIの両方が取れる | 短く限られ、HLA型への依存が大きい |
| 準備にかかる手間 | 既知の配列から選ぶため短い | 採取・解析・個別製造が必要で長い |
| 主な弱点 | 正常組織にも発現し、安全性の前提が集団で変わる | 変異が少ないがんでは候補が取れない |
| 逃避への強さ | 捨てるとがんが生きにくい分子のため、喪失しにくい | 生存に不要な変異なら、捨てて逃げられる |
表:プレシジョンクリニック作成。各欄の根拠は本文に示した文献[1][10][13][14]です。
広く覆えるが反応が立ちにくい標的と、狭いが深く刺さりうる標的。免疫から逃げられにくい標的と、当たれば鋭い標的。片方を選ぶ理由が、そのまま相手を選ぶ理由にもなります。だから当グループは、どちらかを選ぶのではなく、組み合わせを設計します。WT1のような共通抗原を土台に置き、そこへ患者さまごとの要素を重ねる。ネオアンチゲンも、樹状細胞ワクチン療法の枠組みのなかで用います。
採点表に戻ります。WT1が半分しか取れなかった項目が、特異性でした。0.54という点数は「がん胎児性抗原」という下位分類に当たったことを意味します[1]。満点は「完全にがんだけに存在する」場合です。WT1は違います。
総説では、WT1タンパクは多くの悪性腫瘍で過剰発現する一方、正常組織での発現は生殖腺・子宮・腎臓・中皮・造血前駆細胞に限られる、と整理されています[10]。限られてはいますが、ゼロではありません。
この性質には、2つの帰結があります。
1つは免疫学的なものです。前の節で書いたとおり、自己タンパクを強く狙えるT細胞は胸腺で取り除かれています。だから残るのは反応の弱いT細胞になりがちで、立ち上がり方に患者さまごとのばらつきが出ます。
もう1つは安全性です。そしてここには、実際の臨床で観察された境界線があります。
自己タンパクを標的にするとは、この種の境界を引き受けることです。WT1を扱う治療では、どの集団で安全性の前提が崩れるのかを個別に見ておく必要があります。
2009年のリストは、治療機能の項目でWT1に最下位の評価をつけました。その後の17年で、臨床のデータはどう動いたのか。多くの学術論文誌で有益性の報告が積み上がり、とくに免疫反応が立ち上がった患者さまでは良好な成績が一貫して示されています。一方で、集団全体での有効性を確立するところまでは至っていません。順に見ます。
WT1を標的にしたワクチンで最初に第3相まで進んだのは、WT1由来の3つの合成エピトープを含む製剤でした[11]。再発・進行した膠芽腫を対象に、ベバシズマブ(商品名:アバスチン®)との併用をベバシズマブ単独と比べる設計で、338名の登録が計画されました。
2回目の中間解析で、試験は中止になりました。185件の生存イベントを集めた時点で、最終解析まで進んでも主要評価項目である全生存の達成確率が低いと判断されたためです。新たな安全性の懸念は示されていません[8]。WT1ワクチンで完了した無作為化第3相は、現時点ではこの1件です。その後、免疫チェックポイント阻害薬との併用を調べていた第1/2相も、開発中止の判断により終了しています。
現在進行中の第3相が1つあります。急性骨髄性白血病で2回目の完全寛解に到達した患者を対象に、WT1由来の複数のペプチドを組み合わせたワクチンを維持療法として投与し、最善の既存治療と比べる試験です。主要評価項目は全生存で、死亡数が規定数に達した時点で解析する設計になっています。
2026年10月28日、事前に定めた80件目の死亡に到達し、最終解析が始まったことが開発企業から公表されました[9]。主要評価項目の結果は、本稿の執筆時点では公表されていません。中間解析では無効中止の基準を超えて試験継続が勧告されていますが、これは「有効性が示された」こととは別です。結果が出るまで、この試験をWT1の有効性の根拠として扱うことはできません。
日本では、膵臓癌を対象にWT1ペプチドワクチンとゲムシタビンの併用を、ゲムシタビン単独と比べた無作為化第2相試験が行われました。91名が登録され、85名が解析対象になっています[5]。
報告された数字を順に見ます。無増悪生存のハザード比は0.66、P値は0.084。1年全生存率は併用群35.7%、単独群20.9%。転移を有する集団に限ると無増悪生存のハザード比は0.51、P値は0.0017。さらにワクチンに対する遅延型過敏反応が陽性だった患者では、ハザード比が0.27まで下がっています[5]。
そして、全生存のハザード比は0.82、P値は0.363でした[5]。差はついていません。
ここは、批判的に読む必要があります。集団全体の無増悪生存はP値0.084で、通常用いられる有意水準には達していません。論文の題名は無増悪生存の改善を掲げていますが、全体集団の数字はこの通りです。転移例やDTH陽性例で見られた差は部分集団の解析であり、仮説を立てる段階の所見として扱うのが妥当です。
WT1ペプチドを樹状細胞に載せて投与する設計の報告も、日本から出ています。
まず、クラスIとクラスIIの両方を載せることに直接触れたデータがあります。日本のグループの報告では、クラスI拘束ペプチド(WT1-I)とクラスII拘束ペプチド(WT1-II)の両方を載せた樹状細胞ワクチンを7名に投与しています。その7名の生存は、どちらか一方だけを載せたワクチンを受けた3名と比べて有意に延長しました(全生存P=0.036、無増悪生存P=0.010)[4]。同じ報告で、WT1に対する遅延型過敏反応が陽性だった患者は、陰性だった患者より全生存・無増悪生存ともに有意に良好でした(それぞれP=0.021、P=0.018)[4]。
ただし7名対3名です。無作為化されておらず、この規模で有意差が出たことをもって、クラスIIを足す設計の優位が確立したとは言えません。
次に、切除不能な進行膵癌10名に、パクリタキセル(アルブミン懸濁型。商品名:アブラキサン®)とゲムシタビンによる化学療法を行い、2コース目からWT1ペプチドを載せた樹状細胞ワクチンを併用した第1相試験があります[6]。奏効率は70.0%、10名全員で病勢の制御が得られました。生存の評価が可能だった9名で、無増悪生存期間の中央値は2.23年、全生存期間の中央値は3.52年。切除不能と判断されていた10名のうち7名が手術に進み、6名で完全切除に至りました。手術に進んだ患者の腫瘍局所では、CD3・CD4・CD8陽性のリンパ球とPD-1陽性細胞の浸潤が多く、制御性T細胞は少ないという所見が得られています[6]。
数字は目を引きます。だからこそ、限界を正確に置きます。これは10名の第1相試験で、主目的は安全性と実施可能性の評価です。対照群はありません。比較に使われている「標準化学療法単独での全生存期間中央値0.71年」は過去のデータであり、同じ試験の中で割り付けられた対照ではありません。さらに対象10名の内訳は、局所進行の切除不能例6名、他臓器転移例3名、術後肺転移例1名です。転移例が中心の試験とは、もともと予後の前提が違います。
もう1つ、結果を待っている試験があります。WT1ペプチドを搭載した樹状細胞ワクチンをS-1(販売名:ティーエスワン®)と併用し、プラセボ併用と比べる二重盲検の無作為化試験が、和歌山県立医科大学を中心に行われました[12]。標準化学療法に不応となった進行膵癌が対象で、主要評価項目は全生存期間です。試験登録(UMIN000027179)では募集は終了し、解析終了日は2025年3月31日と記載されています。それでも結果の欄は現時点で「未公表」のままで、結果を報告した査読論文も確認できませんでした。
この試験には、呼び方の揺れもあります。試験登録上の正式名称は第III相と記載されていますが、2019年に公表されたプロトコール論文の題名に相の記載はありません[12]。二次情報で「第II相」と紹介されている場合は、登録情報と食い違っています。
同じグループは2025年に、長期生存例の特徴を探索する解析を公表しました。治療前の血中にKRASやTP53の変異が見られなかった患者、膵癌細胞のPD-L1発現が低かった患者で予後が良い傾向があり、効果が高かった例では治療後にWT1特異的なメモリーT細胞が増えていました[7]。著者たちは、これらのバイオマーカーの有効性を確かめるにはさらに多くの症例での比較試験が必要だと述べています。
WT1の臨床データを横に並べると、ひとつの型が繰り返し現れます。免疫反応が立ち上がった患者さまでは成績が良く、集団全体では差がつきにくい。遅延型過敏反応の陽性、WT1特異的T細胞の増加、長期にわたる免疫の維持。どの試験でも、効果が得られた方の特徴は後から描き出せています。残る課題は、その方々を治療の前に見分ける方法です。
私たちは、WT1ペプチドを用いた樹状細胞ワクチン療法を世界で初めて実用化し、2007年から行って、グループ累計で約6,500症例の経験を重ねてきました。東京大学医科学研究所で始まった培養技術と、大阪大学・北海道大学で開発されたWT1をはじめとする抗原の技術を組み合わせてきた流れの上にあります。
WT1については、患者さまのHLA型にマッチングするように最適化してペプチドを設計し、使用しています。キラーT細胞を立てるHLAクラスI拘束のペプチドだけでなく、ヘルパーT細胞を立てるHLAクラスII拘束のペプチドも、患者さまごとに設計して併せて用います。創業当初から、樹状細胞の作製にCD4エピトープを使うことに取り組んできました。この設計には独自技術のHKHELPを用いています。
当グループが樹状細胞ワクチンの標的として実際に使っている腫瘍関連抗原は、WT1、サバイビン、MUC1、MAGE-A4などです。抗原の載せ方には、樹状細胞に取り込ませる方式と、HLAに直接貼り付ける方式があり、前者では自己腫瘍組織(ライセート)・長鎖ペプチド・タンパク質を用いています。患者さまごとの変異から設計するネオアンチゲンも、この枠組みのなかで用います。
WT1については、免疫染色の結果を、標的に加えるかどうかの判断材料にはしていません。前の節で触れたとおり、WT1の染色は技術的に特殊で、使う抗体によって陽性率が大きく変わることが報告されています[15]。開発に携わった者の見解も同じで、染色の結果だけで標的の採否を決められる段階にはない、というのが当グループの立場です。そのうえで、多くのがんで高く発現する共通の標的として、治療の土台に置いています。これはMAGE-Aの扱いとは違います。MAGE-Aでは発現を免疫染色(IHC)で確かめてからペプチドを設計しています。
この差を書いておく理由があります。2009年の採点表でWT1が「抗原陽性の患者数」と「発現量と陽性細胞の割合」で高い評価を得たことと、494例の免疫染色で広く陽性が確認されたこと[15]は、共通標的として使う運用を支持します。一方で、染色の結果を採否に使わない以上、その患者さまでWT1が実際に提示されているかを個別に確かめたうえで標的に加えているわけではありません。ここは当グループの運用上の割り切りで、染色で選別した場合と比べて優れていることを示すデータは、当院にも文献にもありません。
臨床データで繰り返し現れた「免疫が立ち上がった患者だけ成績が良い」という型は、WT1が自己タンパクであるという採点表上の弱点(特異性0.54)と地続きだと考えています。中枢性寛容で高性能のT細胞が乏しいなら、反応が立つかどうかは患者ごとにばらつく。クラスIIのヘルパーエピトープを加える設計は、このばらつきに対してヘルパーT細胞の助けを足そうとする試みです。ただしこれは既存の試験が直接検証した命題ではなく、クラスIとクラスIIを併用した樹状細胞ワクチンの小規模な報告[4]と、免疫応答と予後の相関を示した試験[5][6][7]から導いている推論です。
同じ理由から、ネオアンチゲンを併せて用いる設計にも意味があると考えています。中枢性寛容を受けていないT細胞を動かせる可能性があるからです。これも推論です。WT1とネオアンチゲンを併用した設計を、併用しない設計と直接比べた試験は確認できていません。
図:プレシジョンクリニック作成。クラスIとクラスIIの両方を併用した樹状細胞ワクチンの報告は小規模なものに限られます[4]。
この記事を書くにあたって2009年の論文の書誌を照合したところ、著者名の記載が情報源によって揺れていました。PubMedおよびEurope PMCの著者文字列は11名ですが、PMCに収載された本文版の著者欄にはラルフ・スタインマン(Rockefeller Institute)が第9著者として記載され、12名になっています。樹状細胞の発見で2011年のノーベル生理学・医学賞を受けた研究者です。WT1を最上位に置いた採点表は、樹状細胞を見つけた人物が加わった委員会の仕事でした。引用の際に著者名を書く場合は、どちらの版を参照したかで名簿が変わります。
多くのがん種に共通して高く発現するため、がん種を問わず同じ標的を使えるからです。2009年のNCIの採点でも「そのがん種の多くの患者で高発現している」という最上位の評価を受けました[1]。実際にWT1を標的としたワクチンの臨床試験は、急性骨髄性白血病・骨髄異形成症候群・膠芽腫・膵臓癌など血液のがんと固形がんの両方で組まれています。当グループでも、樹状細胞ワクチン療法の土台となる標的として用いています。
この順位は、標的としての素性を9項目で採点した結果で、治療成績の順位ではありません。最も重い「治療機能」の項目では、2009年当時のWT1は4段階評価の最下位でした。最上位を支えたのは、がん化への関与・がん幹細胞での発現・エピトープの数・抗原陽性の患者数という生物学的な項目です。しかも75抗原のどれ一つにも最上位の治療機能評価はつかず、論文は「理想的な抗原は1つもなかった」と結論しています[1]。標的としての素性が良いことと、治療成績が証明されていることは別に扱う必要があります。
どちらが上という関係ではありません。WT1は多くの患者さまに共通して使えて、配列も長くクラスIとクラスIIの両方が取れます。ネオアンチゲンは自己にない配列なので中枢性寛容を受けず、強い反応が期待できる一方、患者さまごとの設計と製造に時間がかかり、変異が少ないがんでは候補が取れません。当グループは共通抗原を土台に置き、患者さまごとの要素を重ねる設計を取っています。なお、両者を併用した設計を併用しない設計と直接比べた試験は確認できていません。
WT1を標的として国内で薬事承認された製品はありませんが、医師主導治験や臨床試験として行われているものがあり、当グループでは樹状細胞ワクチン療法の枠組みの中でWT1を標的の1つとして用いています。これは自由診療であり、効果を保証するものではないものの、多くの学術論文誌で有益性についての報告はしております。費用は料金表をご確認ください。
ペプチドを直接HLAに載せる設計では、型に合った配列が必要です。WT1は配列が長く複数のエピトープを含むため、HLA-A*24:02やHLA-A*02:01など複数の型に対応する配列が報告されています。ただし「どの型にも対応できる」わけではありません。当グループでは型を調べ、使える配列があるかを確認してから設計します。
正直にお答えすると、WT1の免疫染色の結果は、標的に加えるかどうかの判断材料にはしていません。WT1の染色は技術的に特殊で、494例を調べた報告では使う抗体によって陽性率が35〜100%と5〜88%に分かれています[15]。多くのがんで高く発現する共通の標的として、治療の土台に置くという扱いです。MAGE-Aについては発現をIHCで確かめてから設計しています。この違いと割り切りの限界は本文に記載しました。病理標本でWT1染色が実施済みの場合は、ご相談の際にお持ちください。
監修医師
矢﨑 雄一郎医師
免疫療法・研究開発
東海大学医学部を卒業後、消化器外科医として医療機関に従事したのち、東京大学医科学研究所で免疫療法(樹状細胞ワクチン療法)の開発に従事。現在はプレシジョンメディカルケア理事長として活躍中。専門分野は免疫療法及び消化器外科。著書『免疫力をあなどるな!』をはじめ、医学書の執筆も手がけ、医療知識の普及にも貢献。免疫療法の開発企業であるテラ株式会社の創業者。