投稿日:2024.1.5/更新日:2026.11.5
がん細胞を免疫に攻撃させるには、「どこを狙うか」という標的、つまり抗原を決めなければなりません。その候補は大きく2つに分かれます——がん細胞だけに生まれた変異由来の目印であるネオアンチゲンと、正常細胞にも少しはあるがんで強く出る目印、すなわち腫瘍関連抗原(TAA)です。
この記事が扱うのは、後者のTAAだ。WT1、MAGE-A4、NY-ESO-1、サバイビン——がん免疫療法の歴史の大半は、実はこのTAAを標的にしてきた歴史でした。そしてその歴史は、正直に言えば「うまくいかなかった第3相試験」の積み重ねでもあったのです。なぜ共有できる目印は魅力的なのに効きにくいのか、最近の臨床試験は何を変えたのか。順に見ていきましょう。
ここが出発点であり、そして最大の弱点でもある。TAAはもともと自分の体にあるタンパク質であり、だからこそ多くの患者さんが同じ抗原を共有します。一人ひとり設計し直すネオアンチゲンと違い、あらかじめ用意した「既製品」のワクチンやペプチドを多くの人に使え、採取した組織を待つ必要もありません。この汎用性こそ、TAAの持ち味なのです。
米国立がん研究所(NCI)は2009年、免疫療法の標的になりうるがん抗原75種を、有効性・特異性・発現頻度などの基準で順位づけしました。1位はWT1、2位はMUC1で、上位には共有できるTAAが並びました。ただし論文は同時に、こう結論しています——「すべての理想的な特性を備えた抗原は存在しない」[2]。共有できることと、免疫が本気で攻撃できることは、別の問題だった。
TAAといっても中身は一様ではありません。正常細胞のどこに、どんな理由で出ているかで性質が変わり、代表的な分け方は次の4つになります。なお、この分類は文献によって揺れます(たとえばWT1を「過剰発現」に入れる総説もあれば、「がん精巣抗原」寄りに扱う総説もあります)[1]。
| タイプ | 代表例 | 正常組織での発現 | 免疫寛容の受けやすさ |
|---|---|---|---|
| 過剰発現 | WT1、サバイビン、HER2、MUC1 | 多くの正常細胞に少量 | 受けやすい |
| 分化抗原 | gp100、チロシナーゼ、PAP、CD19 | 同じ系統の正常細胞に発現 | 受けやすい |
| がん精巣抗原 | MAGE-A4、NY-ESO-1、PRAME | 精巣など一部の生殖系列に限られる | 比較的受けにくい |
| がん胎児性 | CEA、AFP、GPC3 | 胎児期に発現、成人で低下 | 受けやすい |
理由は、免疫が自分の体を攻撃しないように作られているからです。T細胞は胸腺で育つ段階で、自分のタンパク質に強く反応する個体があらかじめ取り除かれます。これを中枢性寛容と呼びます。TAAはもともと自分のタンパク質なので、それを強く狙える高性能なT細胞は、育つ前に間引かれてしまう。手元に残るのは、反応が弱い低アビディティ(低親和性)のT細胞ばかり。どうしても、そうなりがちだ。
実際、がん抗原に結合するT細胞受容体(TCR)は、ウイルス抗原に結合するTCRよりも、はっきりと低い親和性の範囲に収まることが示されています[3]。ウイルスは「完全な異物」なので高性能のT細胞が残る。自分由来のTAAではそうはいかない。これがTAAワクチンの成績を長く縛ってきた、根本の理由だった。ネオアンチゲンがTAAより有利とされるのは、まさにこの制約を受けにくいからです。
では、T細胞受容体を遺伝子改変して親和性を無理やり上げればよいのか。ここには深刻な教訓がありました。MAGE-A3という、がん精巣抗原を狙って親和性を高めたTCR-T細胞療法で、2つの重大事故が起きました。ひとつは心臓——改変TCRが心筋のタンパク質タイチンの似た配列(HLA-A*01に提示される)を誤認し、患者2名が心毒性で亡くなりました[5]。もうひとつは脳——別のMAGE-A3狙いのTCRが、脳に発現するMAGE-A12を認識してしまい、9名中2名が壊死性の脳症で死亡しています[4]。
誤解してほしくないのは、これは「がん精巣抗原そのものが危険」という話ではない、という点です。事故の原因は、人工的に親和性を上げたことと、狙った抗原に配列が似た別の分子を巻き込んだ交差反応でした。標的の選び方と親和性の設計しだいで、諸刃の剣になる。TAAを扱うとは、この綱渡りを引き受けることでもあるのです。
ここからは、当グループが取り組もうとしている考え方の話だ。病理診断では、がんの種類を見分けるために日常的にIHC(免疫染色)を行います。WT1、PRAME、MAGE-A4、NY-ESO-1、GPC3。これらはすでに診断の現場で染めているマーカーであり、同時にTAAとして治療の標的候補でもある。だとすれば、診断でとった染色結果を、そのまま「この患者さんではどの抗原を狙えるか」の一次スクリーニングに転用できないか、という発想です。
この考え方には、しっかりした裏づけがあります——米国で承認されたMAGE-A4標的のTCR-T細胞療法(アファミセル/Tecelra)は、投与前に腫瘍のMAGE-A4を専用のIHC検査(コンパニオン診断)で確認し、あわせて患者さんのHLA-A*02型を確認することが必須になっています[11]。つまり「発現を病理で確かめてから標的にする」という手順は、承認治療ですでに確立した設計なのです。当グループがMAGE-Aの発現をIHCで確認してからペプチドを設計しているのも、同じ考え方に立っています。
誤解されやすい点を先に書いておきます。この治療は、IHCが陽性でありさえすればどのがん種でも使える、という設計ではありません。承認されている対象は滑膜肉腫という1つのがん種に限られ、そのうえで特定のHLA-A*02型であること、さらに専用検査で定められた染色の強さと陽性細胞の割合を満たすこと。この3つがそろって初めて適応になります。つまりIHCは、適応を決める3条件のうちの1つという位置づけです。
ただし、IHCで陽性だから効く、とは言えません。IHCが教えてくれるのは「そのタンパク質が細胞内にどれだけあるか」までです。そこから実際にT細胞が攻撃できるまでには、少なくとも4つの関門があるのです。
とくに関門2、発現と提示の関係については、ここからは推論です。IHCでたくさん染まる腫瘍のほうが、HLAに載る断片も多い傾向はあると考えられます。しかし、それを患者さん一人ひとりで直接証明する検査は、日常診療では確立していません。だからIHCは「候補を絞る一次スクリーニング」としては妥当でも、「効くことの保証」にはなりません。加えて、狙うにはHLA型の一致も要ります。MAGE-A4狙いのアファミセルがHLA-A*02型を条件にしているのも、このためでした。
それでも、病理で染めている検査を標的選びの入り口に使う意義はあります。発現していない抗原を狙う無駄を避けられ、後で述べる「抗原が消えて逃げる」問題にも、発現の有無を最初に押さえるという形で備えられるからです。実際の頻度を見ると、企業治験のスクリーニングデータでは、MAGE-A4のIHC陽性率は滑膜肉腫で70%、頭頸部がんで22%、食道がんで21%と、がん種により大きく異なります[19]。まず染めて確かめる、という順番の意味がここにあります。
TAAを標的にした治療は、大きくワクチン型と、細胞療法・二重特異性抗体型に分かれます。まずはワクチンから、正直な成績を並べていきましょう。
前立腺がんに対するシプリューセルT(PAPを標的にした自家細胞製剤)は、512名の無作為化第3相で全生存のハザード比0.78(中央値25.8対21.7か月)を示し、米国で承認されました[6]。事前に決めた主要評価項目を無作為化第3相で達成し、承認まで至った数少ないTAAワクチンでした。
その後ろには、失敗の列がありました。MAGE-A3をタンパク質ワクチンにしたMAGRIT試験は、肺がん術後2,272名で無再生存に差なし(ハザード比1.02)[7]。MUC1を狙ったテセモタイド(START試験)も、肺がんで全生存に有意差なし(ハザード比0.88、p=0.123)[8]。前立腺がんのPROSTVAC、腎がんのIMA901、日本の個別化ペプチドワクチンの第3相も、いずれも主要評価項目を達成できませんでした。共有できる目印は用意しやすい。けれど、弱いT細胞しか動員できなければ、大規模試験の壁は越えられなかった。
最近になって、設計は変わりつつある。WT1ペプチドワクチン(ガリンペプミュートS)はAMLの維持療法で最終解析待ちの段階、サバイビンのSurVaxMは無作為化第2b相が進行中で、いずれも結果は未公表です。メラノーマではmRNAワクチンBNT111が第2相で過去対照より奏効率が上と発表されましたが、査読論文はまだ出ておらず、単剤の対照群との差はわずかです。IO102-IO103という新しいペプチドワクチンは、メラノーマの第3相で無増悪生存のハザード比0.77を示したものの、事前に決めた有意水準(p=0.0558)には届きませんでした[21]。総じて、いま有望に見える所見の多くは、探索的サブグループ・外部対照・学会発表の段階にとどまります。TAAワクチンは免疫チェックポイント阻害薬や早期がんとの組み合わせへ、主戦場を移しつつあります[18]。
ワクチンが「弱いT細胞を後押しする」のに対し、こちらは「強いT細胞や橋渡し分子を外から入れる」という逆の発想に立つ。ここ数年の前進は、主にこの領域で起きました。
| 治療(一般名) | 標的/HLA | 種類・対象 | 主な結果 | 状況(国内) |
|---|---|---|---|---|
| テベンタフスプ | gp100/HLA-A*02:01 | 二重特異性・転移性ぶどう膜メラノーマ | 全生存HR 0.51[9]。3年時点でHR 0.68に縮小[10] | 米欧で承認・国内未承認 |
| アファミセル | MAGE-A4/HLA-A*02 | TCR-T・滑膜肉腫(このがん種のみ) | 滑膜肉腫の奏効率およそ39〜43%[11][12] | 米国で本承認(2026年)・国内未承認 |
| アンズトレスジェン他 | PRAME/HLA-A*02 | TCR-T/二重特異性・メラノーマ等 | 第1相で奏効例あり[13]。第3相進行中 | 臨床試験段階 |
| IMA401 | MAGE-A4/A8/HLA-A*02:01 | 二重特異性・固形がん第1相 | 推奨用量で奏効率20%、頭頸部29%[14] | 臨床試験段階 |
この表から読み取ってほしいことが、3つあるはずです。第一に、承認まで届いたのは、HLAへの提示やT細胞の親和性を人工的に設計した治療だという点。ワクチンで自然な免疫を起こすより、標的の見え方そのものを作り込んだほうが結果につながっています。第二に、奏効率は必ずしも高くないのに全生存が良い、というMAGE-A4を扱ったコラムでも触れたパターンが繰り返される点。テベンタフスプが、その典型だった。第三に、これらはいずれも国内では未承認だという点です。日本の患者さんが今すぐ使えるものではありません。
日本発の研究にも触れておきましょう。三重大学のグループは、HLA-A*24:02に拘束されるMAGE-A4を標的にしたTCR-T細胞療法を食道がん再発例10名に行いました。細胞は体内に生着し、一部で5か月以上持続しました。ただし客観的な腫瘍縮小は得られていません[15]。うまくいかなかった事実も含めて共有することが、この分野では誠実な態度だと考えています。
TAAを1つだけ狙う戦略には、構造的な弱点があるのです。がんは不均一な細胞の集まりで、ある標的を狙って攻撃をかけると、その目印を持たない細胞だけが生き残り、やがて再増殖する。抗原喪失による逃避と呼ばれる現象だ。CD19を狙ったCAR-T細胞療法では、小児の奏効例の10〜20%でCD19の目印が失われて再発することが報告されています[16]。分化抗原を1点で狙うことの限界を、これは示している。
さらに厄介なのは、目印そのものではなく、目印を載せる「台」であるHLAが失われる場合です。免疫療法を受けたメラノーマ患者から樹立された細胞株の一部で、HLAクラスIの機能的な発現が完全に失われていました[20]。台がなくなれば、どんなに良い標的を選んでもT細胞は見えません。だからこそ、複数の標的を同時に狙い、免疫の攻撃対象を1点に絞らないことが理にかなっています。攻撃をきっかけに、当初狙っていなかった別の抗原にも反応が広がる「エピトープスプレディング」も、多標的化の追い風になります。
当グループは、樹状細胞ワクチン療法の標的として、複数のTAAを実際に使っています。実際に使っているのは、WT1、サバイビン、MUC1、MAGE-A4などです。なかでもMAGE-Aは、重要な使用抗原だ。狙う前に、その患者さんの腫瘍でMAGE-Aが本当に発現しているかをIHCで確かめる。そのうえで、日本人で最も頻度の高いHLA-AアレルであるHLA-A*24:02、およびHLA-A*02:01に載る形のMAGE-A由来ペプチドを設計して用います。WT1については、当グループはWT1ペプチドを用いた樹状細胞ワクチン療法を2007年に世界で初めて実用化し、これまでグループ全体で約6,500症例の経験を積み重ねてきました。
私たちの立場は明快だ。TAAは「共有できるがゆえに扱いやすく、共有できるがゆえに免疫が本気になりにくい」抗原なのだ。だから、発現をIHCで確かめ、HLA型に合わせて設計し、単独に頼らずNK細胞療法や活性化リンパ球(LAK)療法、免疫チェックポイント阻害薬、局所療法と組み合わせる。この複合設計を、当グループは独自プロトコルSynerTri®(シナトリ/学術名iCCI)として運用してきました。ネオアンチゲンも、この樹状細胞ワクチンの一変種として同じ枠組みの中にあります。
ただし、効果を保証するものではありません。TAAを標的にしたペプチドを患者さんごとに設計して用いる方法について、それが既製のワクチンより優れると示した大規模な比較試験はありません。HLA結合の予測は計算上のものであり、実際にT細胞が反応する保証もない。この限界を承知したうえで、リスクとベネフィットを個別に評価して設計する、という姿勢を、変えるつもりはありません。腫瘍微小環境(TME)という壁や、膵臓がんに免疫療法が効きにくい6つの理由とあわせて読むと、なぜ標的選びだけでは足りないのかが見えてくるはずです。
この記事の内容を、あえて厳しく見ておきましょう。第一に、TAAワクチンで事前に決めた主要評価項目を無作為化第3相で達成し承認に至ったのは、確認できた範囲ではシプリューセルTのみでした。多くの「良い所見」は、探索的サブグループ・外部対照・学会発表や企業発表の段階にあり、確立したエビデンスとは区別すべきです。
第二に、IHC陽性は治療効果を意味しません。図1で示したとおり、発現と提示のあいだ、提示とT細胞応答のあいだには、まだ日常診療で埋めきれない距離があります。IHCは標的候補を絞る入り口として妥当ですが、それ以上を約束する検査ではありません。第三に、承認された細胞療法・二重特異性抗体はいずれも国内未承認で、日本ではまだ臨床試験や自由診療の枠でしか扱えません。過大な期待も、逆に全否定も、どちらも事実に合いません。分かっていることと分かっていないことを、その都度分けて説明する。それが私たちの役割だと考えています。
一概には言えません。TAAは多くの患者さんで共有でき、既製の標的として使いやすい反面、自分由来のため免疫の反応が弱まりやすい弱点があります。ネオアンチゲンはがん特異的で反応を起こしやすい一方、一人ひとり設計が必要で、遺伝子解析のデータを要します。当グループは両者を同じ樹状細胞ワクチンの枠組みで使い分けています。
入り口としては有効ですが、それだけでは決まりません。IHCが教えてくれるのは、抗原が発現しているかどうかまでです。しかし実際に狙えるかは、その断片がHLAに提示されるか、反応するT細胞がいるか、HLA型が合うかにも左右されるのです。当グループはIHCで発現を確認したうえで、HLA型に合わせて設計しています。
MAGE-A4を標的にした承認済みのTCR-T細胞療法は米国のものであり、国内ではまだ未承認です。当グループでは、樹状細胞ワクチン療法の枠組みの中でMAGE-AやWT1などのTAAを標的として用いていますが、これは保険適用外の自由診療であり、効果を保証するものではありません。個別にご相談ください。
監修医師
矢﨑 雄一郎医師
免疫療法・研究開発
東海大学医学部を卒業後、消化器外科医として医療機関に従事したのち、東京大学医科学研究所で免疫療法(樹状細胞ワクチン療法)の開発に従事。現在はプレシジョンメディカルケア理事長として活躍中。専門分野は免疫療法及び消化器外科。著書『免疫力をあなどるな!』をはじめ、医学書の執筆も手がけ、医療知識の普及にも貢献。免疫療法の開発企業であるテラ株式会社の創業者。